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エッセイ 理念と原理

※ほぼ、3カ月ほど中断しておりました。これからは、ぼちぼちUPしていきたいと思っています。<(_ _)>


理念というものは原理的に扱われると、自分や他人を傷つけずには置かない両刃の剣となる。この理念というものは、キリスト教を代表とする、唯一神を奉ずる西洋諸国の宗教からもたらされた観念であるという認識は、まず、必要だろうと思う。


ところで、原理とは、数学的、物理学的な公式であり、とりのけを許さないという性質を持つ。人間的原理という誤解されやすい怪しい観念があるが、これは、物質的原理という生母から生まれた嫡出子ではない子である。強引に人間側に引き寄せられた観念である点で、ある違反を犯している。


物質や数式は、現代物理学や数学では、だが、ごく微妙なところで、原理に反抗する性質を帯びるようであるし、それを否定してはなるまいが、一応、そうした性格を無視したとしても、成立する学問である。


そうして、理念というものは、唯一神教的な性質を帯びていることを、想起してもらいたい。この宗教は、とりのけを嫌う。唯一神教は、理念的宗教だからである。ただ、キリスト教に関しては、キリストが行った奇跡を思い起こしてほしい。そのために、奇跡が起こったとき、それが真に神による奇跡か魔女の仕業によるものか、奇跡委員会というものまで立ち上げて、厳密に査定したという歴史を持っていることを、忘れてはなるまい。理念という観念は、宗教的にも、科学的に扱われても、その力学は変わらないが、西洋諸国はその力学と苦闘してきた長い歴史を持っているのである。理念という言葉は、唯一神教を軸として、徹底的に磨き抜かれて来たと言い換えてもいい。


そうしたideaという言葉に<理念>という新語を当て嵌めて、この両刃の剣を平気で振り回している国は、日本だけに限らないようだが。日本風の論争の仕方を見ていると、明治期以後もたらされた夥しい新語が、不慣れな手つきで扱われ、無用な感情論を引き起こし、ようやく常識(これも新語であるが)によって、落ち着くところに落ち着く、つまり、落としどころを探すという作業をしているように見えて仕方ない。ただ、イデオロギーというような、本当のところ誰もその意味をよくは知らない新語中の新語が、影をまったく薄めたのは、結構な傾向ではあるが。


理念とはイデー、つまり、精神的原理であり、原理とは、物質的原理である。そうして、精神的原理は、多くの取り除けを必要とするものであることを忘れてはならないものであろう。