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おすすめ本やエッセイ、絵、現代詩などを載せていきたいと思っています。

エッセイ モーツァルト賛

モーツァルトがとても好きである。


K551「ジュピター」はわたしにとって、本当に啓示だった。最初にモーツァルトに本当にふれたその高校生当時、世の中にこれ以上の音楽はあるまい。いや、有り得ないと本気で信じていた。今でも、半ばそうである。ジュピターは、未だに、ある強い感情を伴わないでは聞くことができないでいる。


モーツァルトなんてイカサない。ショパンの方がずっといいわという女性(特にクラシック好きの女性)が、多くいる。それは、それでいいのだとわたしは思っている。ショパンのあの聞き耳を立てずには居られないような音楽も唯一無二のものだ。わたしも好きである。ただ、そうした聞かせようとした作為がまったくないモーツァルトの音楽を聞くと、ショパンが何かとても小さく見えてしまうのをどうしようもない。


モーツァルトのすごさは、一言で言えば、どこまで行っても、中を得た音楽だということだろうか。およそ、どの時代どの社会であろうと、その中で、ピッタリと事物に付いて離れない。じつは、音楽ほど、時代に翻弄されやすい芸術はないのであるが。


K626「レクイエム」は、またとんでもない曲である。この曲を聞くと、わたしは、こんなすばらしい曲こそもっとずっと聞いていたいという感情と、また、死に直面したモーツァルトの白鳥の歌であるこんなにつらい曲は、すぐにでも終わってほしいという感情とが、わたしの心の中で直にせめぎ合う。そうして、そんなこととはまったくおかまいなく音楽は流れていき、おどろくほど濃密な時間を体験する。


いや、本当に、とんでもない音楽家である。


好き嫌いで、どうこう言える音楽家ではないことは確かであるが、それでも、好きだと言って、少しも差し支えないというような、こうした音楽家は他にいない。

「青山二郎の話」宇野千代 中公文庫

青山は語り難い人です。何もしなかった天才といわれ、古美術の当代きっての目利きで、本の装丁もしていましたが、では何者かといわれると説明のしようがない人です。そこにいるというだけで本人や周りの人が確かな意味を持つという不思議な人でした。彼には数冊の文章がありますが、どれも彼の活眼が光る破格のものです。青山は筆者の宇野千代を「もっともよくできた田舎者」と評しました。先述の白州正子や著名な知識人も彼を人生の師と仰ぎました。青山の口癖は「俺は日本の文化を生きているんだ」ということでした。何者でもなかったという天才です。


「ティファニーで朝食を」トルーマン・カポーティ 新潮文庫

自我確立が主題となっている小説です。小説の主人公は若い女性ですが、有名になることも俳優として成功することも、本当の自我を生きることにはならないと知っている女性です。彼女に言わせれば、それはティファニー(貴金属専門店)で朝食を食べることのように滑稽で無理な企てだということになります。自我確立とは何かと問いかける名作です。


「女坂」円地文子 新潮文庫

女流作家円地文子の名篇です。円地には源氏物語の名訳がありますが、長年、この物語に私淑した円地ならではの目が光っています。物語は、亭主から自分好みの若い妾を探して連れて来いと命じられる妻の話です。主人公の倫はこの夫の理不尽な要求に昔ながらの女として耐えてみせます。長年の心労の末、倫は足に病いを得て伏せります。途端に妻を心配しだした夫に、死の間際の倫は「私が死んだら、亡骸を冷たい海にザンブリと捨ててください」と告げます。円地の凄みのある冷眼を感じさせる場面です。円地は女の肌の感触を文章にすることのできた作家でした。


「会社はこれからどうなるのか」岩井克人 平凡社

経済学の基本的な考え方を会社という法人を軸にして、論じた本です。この書の中で繰り返される「法人というものは実に不思議なものである」という言葉には、経済学に長く携わってきた人の実感として、経済活動というものの不思議な実態を正確に捉えることがいかに難しいかをよく表しています。著者独自の「組織特殊的人的資産」という、ある組織の中で自在に動くことのできる人間的資産という言葉は、これからの会社のあり様を示唆する貴重な提言になっています。