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おすすめ本やエッセイ、絵、現代詩などを載せていきたいと思っています。

エッセイ 思想というもの

※<台風の被害に遭われた方々へ、お見舞い申し上げます。>


思想と観念は、区別がまぎらわしいものだが、観念は単なる言葉であって、思想は何か別な高級なものと思われがちである。


これは、はっきりしておかなければならないのだが、思想も単なる言葉に過ぎないのである。もっと言えば高級なものでさえない。観念よりはるかに手垢にまみれた生臭いものだからである。だが、そこにこそ思想としての命がある。


実生活と肉体を離れたところに、思想の生命はない。考えてみれば、血に塗れなければ思想など何の価値も持たないのである。何が高級であろうか。


せいぜい空虚な観念と戯れておいた方が、衛生的というわけだが、そういう人間と話していても、欠伸ばかり出て、人生とはこうも退屈なものかと慨嘆するばかりである。


わたしはまだ読んでいないが、ホフマンの小説に生き血を吸わなければ生きていけない呪われた怪物が登場するそうである。真の思想家とはそういうものだ。


真の物書きは自分の血で書くとは、比喩などどこにもないものなのだろう。


「猫のゆりかご」カート・ヴォネガット・ジュニア ハヤカワ文庫

SF界の文豪カート・ヴォネガット・ジュニアの中でも、もっともよく知られた作品です。水を常温で、氷のように固形化してしまうアイスナインという新物質が開発され、使い方を誤り、世界中の水が固まっていってしまい、人間も塑像のように次々と固まっていくというストーリーです。最後のひとりとなった主人公が、天に向かってアッカンベーをしながら、固まって滅んでいくシーンは、SF作品らしい辛辣な機知を感じさせます。   


「素直な心になるために」松下幸之助 PHP文庫

わたしの記憶があいまいで、この本だったかどうか不確かですが、九才で丁稚奉公から出発した自分の仕事の履歴を語り、一家を構えて仕事をするようになります。夜になると昼間あったことをしずかにかんがえてみる。そうすると本当はこうであったということがはっきりと分かる。松下という人が直に事や物に即して考えることができた稀な人だったということを証しています。


「分析心理学」ユング みすず書房

難解といわれるユングの著作の中でも、ユング心理学の初心者にはもっとも近づきやすい著作です。ユングの学問の骨格がほぼここに出揃っています。一般にフロイトの学問は精神分析学と呼ばれ、ユングのそれは分析心理学と呼ばれます。「一体に、心理療法家は何をしてもいいが、夢を分析することだけはしていけない」というユング自身の言葉と相反するようですが、ユングは自分の学問の根幹が分析心理にあることをじつによく知っていました。本書は、ある学会での質疑応答を筆録したもので、内向性と外向性のタイプから、理性型、感情型、感覚型、直感型と区分けされていき、それらが図式化され、またそれらが相互に補償し合うというユング独自の理論が提出され、初心者が疑問に思うような無意識に関する考えも質疑者によってただされ、ユングはそれらについて明快に応答していきます。「影という無意識とはなんですか」という問いに、ユングは「それは、今、会場におられるみなさんすべてのことです」と答えます。日本人の感覚からすると、禅問答を聞いているような感じを受けますが、西洋的知性の代表であるユングの口から言われると、思わずうなってしまうような説得力があります。ユング心理学の入門書とされている本です。


エッセイ モーツァルト「レクイエム」

わたしは、モーツァルトの「レクイエム」が好きでよく聞くという人が、信じられない人間である。先日も、モーツァルトの「レクイエム」が好きでよく聞いているという人に出会ったが、わたしは、この人はモーツァルトという人と音楽をまるで知らないなと心ひそかに思ったものである。


安藤美姫だったと覚えているが、「レクイエム」を伴奏にして、フィギュアスケートを踊ったことがあった。わたしはごく真面目に、命がけだということは分かるのだが、心底やめてほしいと思ったものである。若い人にそのことを言うと、笑われたものだが、モーツァルトという人と音楽を知っていたら、これは何かの伴奏になるような音楽ではないということは明々白々だと思っている。


要するに、好き嫌いで云々できる音楽ではないのだ。死に対する強烈な畏敬の念を感じなければ、近づけない音楽なので、わたしはこの曲はよほど決心してからでないと聴けない。テレビで鳴っていたら、すぐチャンネルを変える。


世の中や芸術には、好き嫌いで片付けられないものがある。徳川家康が嫌いだという人も単なる偏見だと思っている。彼は、国宝級の人格の持ち主である。