Hideのおすすめ本とエッセイと絵と詩などのブログ

おすすめ本やエッセイ、絵、現代詩などを載せていきたいと思っています。

「物の見方 考え方」松下幸之助 PHP文庫

経営の神様といわれた松下幸之助は非常な警世家でもあり、世の中に警告を発し続けました。松下政経塾は実業家の片手間仕事ではなく、憂国の心からどうしてもたち上げたかったものです。その松下が、自分の経験を踏まえ世の中のためにという志を抱いて書いたのが本書です。松下は、どんなに忙しいときでもしずかにかんがえることのできた人です。そうしてその思考は、一見独断的に見えても、決してものの道理というものを踏み外さない確かさがあります。松下という人のいちばんの強みのように感じられるところです。


エッセイ 人を見るということ

人を顔で判断するのがはやりである。地下鉄の週刊誌の広告には、これでもかというくらい顔ばかり載せている。


わたしは週刊誌や雑誌などを読む習慣がない。せめて、文藝春秋くらいはと思うのだが、今の冷笑主義の論調に嫌気がさし、読む気がしないでいる。だが、地下鉄の週刊誌の広告だけは、よく見る。


週刊誌などの雑誌は、広告だけを見ておけばいいというのが、わたしの持論である。


さて、顔であるが、人を顔だけで判断するのは、絵を印刷された画集だけで判断するのと同じく、大きな落とし穴があって、はっきり言って危うい。あまり、普通の人には薦められない方法である。


ニーチェは人のことを判断するには、その人についての逸話が三つあれば足りると言っている。これは、それぞれの小さな直感を繋いでいって、大きなまとまりのある直観とする、いわば帰納法である。ニーチェが顔について言っていないのを注意して欲しい。


孔子の言葉に「その為すところを見、その拠るところを見、その安んずるところを察すれば、人いずくんぞ隠さんや。人いずくんぞ隠さんや。」がある。やはり、ニーチェと同じく、顔のことは言っていないし、これは、人を見るときのより確かな帰納法である。


これは、良い教訓なので、人を顔だけでどうのこうの言う世相には、抗う必要があるだろう。


徒然草には「達人の人見る眼は少しも過つことあるべからず」とある。<正しい直観力を持つ>「達人」と断っているのが重要なので、誰もが達人である訳がない。兼好は、続けて、では、どういう人が達人でないかを、事細かに分析的に言っているが、では、達人とはどういう人なのかについては、少しも触れない。達人と言えば、われわれにはその意味するところは先に書いた通りで、書く必要を認めなかったのであろう。


直観の正しさは、知性による周到な反省があって、はじめて保証される。達人面だけは止めた方がよかろうかと思う。


「スーパー・ネイチャー2」ライアル・ワトソン 日本教文社

数々の目を見張るような超自然的な出来事が満載された本です。著者のライアル・ワトソンは、アフリカで生まれ育ちました。そのためもあってか、彼の発想は既成の学問の枠をまったく自由にはみ出るものとなりました。原初の人間に却って、本当の偉大な知性を見、未開の人々に文明人の及ばぬ知恵を発見するところなどは、そのことをよく示しています。シンクロニシティ、大数の法則などについて言及した箇所は、これらの現象がいかに不可思議なことであるかを、改めて考えさせられるものがあります。本格的な超自然科学の入門書です。


「こけたら立ちなはれ」後藤清一 PHP文庫

後藤清一は、松下幸之助から薫陶を受けた三洋電器の実業家です。題名の「こけたら立ちなはれ」は、工場が甚大な災害に遭って、これからどうなってしまうんだろうかと途方に暮れていたとき、松下から言われた一言です。ようやく災害の整理がついたとき、やはり松下から今度は、「立ったら歩きなはれ」と声を掛けられます。実業家の飾りのない言葉は、読む者の身さえ奮い立たせるものがあります。因みに後藤は若い頃は鬼の後藤、晩年には仏の後藤と言われたそうです。


「傳記文学 初雁」森銑三 講談社学術文庫

森銑三は、図書館の司書を務めていました。博学多識の人で、特に日本の江戸時代を中心に、多くの優秀な文章を残しています。書中、鎖国の当時、遠く小笠原諸島の鳥島に漂着し、なんとしてでも、故国に帰りたいと祈願する人々の不屈の苦闘を描いた章などは、名篇です。著者は、なんの抵抗もなくその時代の中にスタスタと足を踏み入れることができる人で、著者の中で、実にはっきりと歴史が生かされているからなのでしょう。これは、稀有と言っていいことです。