Hideのおすすめ本とエッセイと絵と詩などのブログ

おすすめ本の紹介文やエッセイ、絵、人物画、現代詩などを載せていきたいと思っています。

エッセイ きれぎれ草 15 <詩片>

永遠は取り付くしまのない、のっぺらぼうのようなものであってはいけない。例えば、それは肌に染み込んでくるような、海に沈む太陽でなければならない。


     〇


おそらくは数学の上での最上の遊戯である将棋


     〇


言葉は死なねばならない
意識の尖頂から軽やかに身を投げねばならない
そうであればこそ
詩人の心は健やかであるのだ


     ○


鳥は空を飛びながら
風のかたちになろうとしていた


    〇


言葉が実を結ぶとき
自分というものの扉が閉じる気配がする


    〇


ある几帳面な男 舞台で
彼は自分の尻尾をやっとのことで掴まえた
観客はどっと笑った
それで、彼は目が覚めた


「幼年時代」トルストイ 新潮文庫

大人物トルストイの幼年期の溌剌とした感受性を伝える得難い名著です。トルストイの父母は、トルストイがごく幼いころ、死に別れしましたが、貴族の家の中で、なに不自由なく育てられたと伝記は伝えています。ここには、幼年時代の少年らしさが、まことに飾り気なく、まっすぐな幸福感に満ちた感情で表現され、後年の苦悩に満ちたトルストイの人生が、にわかに信じ難いほどです。生まれたままの直線をどこまでも、とことん伸ばしていく、ほんとうに真っ直ぐなトルストイの人生の出発点となった書物です。他に「少年時代」や「青年時代」もお薦めです。


エッセイ きれぎれ草 14 <詩片>

銅版に描かれた猫の絵
呪いをかけられたように厳かに
不可能な一歩を踏み出そうとする


                 〇


きよらかな秋の午後
駅前の鳩の群れは深呼吸をはじめた


     〇


遠い国から手紙が来た
海の匂いがした


      〇


表現
ここには一切がある
しかも一切が失われている


    〇


無限の可能性の中の中心点を
常に保持し続けること
ハムレット


エッセイ 諸思想雑感 -人格形成力としての-

キリスト教の人格形成力にはたいへん力強いものがある。マザー・テレサの例を見ても分かる通り、往時の勢いは衰えたとはいえ、未だに、聖女を輩出する力を持っている。最近の例では、アメリカの前大統領のブッシュであろう。この劣等生の飲んだくれを超大国の大統領まで押し上げたのは、まさしくプロテスタントの人格形成力に他ならない。
 それで仏教だが、日本では仏教系の新興宗教は非常に勢力は盛んだが、いずれも、政治的な勢力と言ってよく、キリスト教の持っているような人格形成力は一向に聞かれない。 
これは、他の国でも同様のようで、日本が飛鳥時代から平安期、鎌倉期、さらには、江戸期にまで輩出したような仏教的偉人達は、今日、望むべくもないようだ。少し残念な気もするが。
 儒教が、日本の明治期に驚嘆すべき人物達を輩出したのは、言うまでもない。新世代の人間として儒教を攻撃してやまなかった福澤さえ、「丁丑公論」や「痩せ我慢の説」はもとより、「福翁自伝」にしても、その脊髄となっているのは、紛れもなく儒教による人格形成力である。
 イスラーム教についてはよく分からないところが多いが、ガンディーはヒンズーとイスラムが同居する地帯で生を受けた人で、その統合の象徴としての人格は、王としての素質を持って生まれた人のものであり、ヒンズー教やイスラム教の人格形成力に拠っているのかどうか、判断は難しいように思う。
 そうして共産主義だが、思想の正否は別として、この思想がレーニンや毛沢東などの共産主義的革命家という特殊と言って良い人格を形成する力を持っていたことは間違いない。不思議な独特な思想である。だが、ポルポトのような人間を同時に生みもするが。
 民主主義はどうであろうか。日本では田中角栄がいたりする。
 そうして、どの思想にもおよそ純血種というものはないということ。どの思想も、葛や藤が絡まるようにその人格において複雑な形態を取るものだと言うことを言って置きたい。

エッセイ きれぎれ草 13

幸福な人間は、自分が幸福である理由を深く尋ねようとはしないものだが、不幸な人間は、自分がどのように不幸であるかを良く知っているものである。その人は、そこからその人自身の独特な人生観を作り上げる。


     〇


精神にとって肉体を侮蔑することほど易しいことはない。難しいのは肉体の声を正確に聴き取る繊細な耳を持つことである。


     〇


自己主張には、どこか病的な影がつきまとっているものである。健康な自己主張とはありそうなだけで、実際はどこにもないものだろう。主張する自己は、自分が病んでいることを決して知らない。


     〇


人生という真剣な喜劇。いつもながら、そのグロテクスさ加減にはうんざりさせられるが。