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おすすめ本の紹介文やエッセイ、絵、人物画、現代詩などを載せていきたいと思っています。

「論語」朝日選書 <最上至極宇宙第一之書>

岩波文庫でも「論語」はありますが、わたしは朝日選書の方を選びます。言わずと知れた中国を代表する古典中の古典です。上掲の「最上至極・・・」の言葉は、江戸期の大儒伊藤仁斎が自注の稿本を改訂するごとに、巻頭に書こうかどうか迷った言葉で、結局、この言葉は削られたそうです。「論語」は孔子を中心とした言行録ですが、体系化され、組織化された儒教が成立する以前の、十分に現代に通用する偉大な知恵の書です。「己の欲せざる所は人に施すことなかれ」という論語を越えて有名な言葉が見えます。この言葉は「恕」という漢字一言で言い表せる徳です。孔子という人は世界の四大聖人の中でも、まったく伝説の衣も宗教的な衣も纏っていない、すぐそこの身近に感じられるというような有り難い人です。私たちは地に足をつけた聖人を目の当たりにすることができます。およそ、どの時代のどのような社会にあっても、中を得た基本図書になり得るようなこの書物の普遍的な性格は、言い表す言葉が見つかりません。この書を読んでいないという人は非常な幸運と言っていいでしょう。これから、なんの先入観もなく、孔子という人物に出会え、その謦咳に接せられるほどの書物ですから。


自作詩 線

原野には男
ウサギはしなやかに叢を跳んだ
小石には蟻
眼界の果てには
遠くけぶる町
ここに
新しい線を引こう
黒く太々しい果てしない線を

武士道の体現者 「ラスト・サムライ」西郷隆盛

一時期、「ラスト・サムライ」という映画が流行ったことがあった。わたしは流行りものは敬遠する性質で、未だに、その映画は見ていない。


わたしが思ったのは、内村鑑三が「代表的日本人」の中で、西郷を評して「最後にして最大の武士」と言っていたのを、記憶していて、そのことを、あれこれとつらつら思い巡らしたのである。


内村の「代表的日本人」は、原文は英文で、欧米の知識人にはよく読まれた書物らしく、アメリカ大統領のケネディも尊敬する日本人として、その中に書かれた「上杉鷹山」を最も尊敬する政治家のひとりとして挙げている。


一体、この武士道を真に体現した西郷という人物ほど、不思議な人格はいないように思える。福沢諭吉は「丁丑公論」の中で、西郷を熱烈に擁護する文章を書いているが、西郷のその人物としての、茫漠としていながら、時に雷鳴を轟かせる大きな雲のような捉え難さは、後世に生まれたわれわれを、途方に暮れされるようなものがある。


罪人として送られた離島では、島の管理人の婆さんから、「二度も、この島に送られてくるなんて、なんて人だい」とたしなめられ、何も言えず、下を向いて、真っ赤になっているし、陸軍大将になってからは、議事堂に入ろうとして、「お前が、西郷であるわけがない」と門番に止められ、「わたしが陸軍大将、西郷である」と言っても、門番は一向に取り合わない。ようやく、日が暮れる頃になって、この人こそ西郷だというお偉方が現れて、やっと、中に入ることができたという風で、かと思えば、主君の島津久光には「ジゴロ(田舎者)が!」と叱咤するように吐き捨て、官軍として東征した折には、討ちてし止まんと軍人の面魂そのものをみせているが、ついには、「情の人」として江戸城無血開城を実現させている。文学的に想像を巡らしても、焦点を結びがたい人格である。


司馬遼太郎は、小説の中で、西郷を扱っているが、明治期前は頼れる傑物であるが、彼の筆では、維新後は、単なる愚物と変ずる。その点、内村の短文の方が、西郷については、余程、精彩がある。


武士道は、元々、「弓馬の道」として、武士階級の中から誕生し、儒仏の洗練を受けて、江戸末期から明治初頭にかけて、その最大の成果を得たと言ってよいが、内村が捉えたのは、西郷の「情の人」としての武人であった。近代を憎みながらも、理知の人であった司馬には、どうしても、捉えがたい人物だったように思える。


それはそれとして、キリスト教では、イエス以上のキリスト者という人などというものは考えられもしないが、内村は、侍の代表選手として、わざわざ同時代人の西郷を選んでいることである。つまり、キリスト教では、初めから、その大いなる人格はそのまま与えられているのだが、日本では、事情がまったく逆様になっている。要するに、武士道は非常に発展性のある人格形成力を持った「道」だったということである。


武士道は、男だけのものではない。女人も侍たることを要したのである。武家諸法度は、妻の密通を死罪とした。無論、武家階級以外の庶民には、そうした倫理的な高さは、求められてはいなかった。


平安時代の用語「やまとごころ」「やまとだましい」という言葉も、この「武士道」の中には、含まれているとみて良いので、外には気振りにも見せずに相手のことを深く思いやるという女性的な原理も持っているのも、そのためである。一言では、とても言い尽くせない含蓄のある言葉なので、新渡戸が「武士道」の中でじつに苦労しながら、筆が思い悩んでいる箇所が随所に見えるのも、そのためだろう。


先に、弓馬の道について触れたが、これは鎌倉時代の言葉で、「清濁を分かたぬ武士」というのが、その勘所の意味である。この弓馬の道が、武士道へと発展するのであるが、これが、江戸初期の葉隠を経て、特に儒教の洗練を受け、明治維新の傑物たちを排出するまで、じつに長い間の文化浸透があったであろう。


それが、内村の目に「最後にして最大の武士」として、武士道の真の体現者として、西郷の人格に収斂された。そうして、それを書き得た内村自身も、代表的日本人だったに違いないと、わたしは思っている。西郷を生き生きと書き著し得た長編評伝、もしくは伝記は、まだ、無いようである。


「武士道」新渡戸稲造 <含蓄に富んだ言葉>

著者の新渡戸稲造は、元五千円札の肖像になっていた人物です。新渡戸は明治期、国際的に活躍した日本を代表する人物のひとりです。日本の精神文化を海外に紹介することに尽力し、「武士道」はその活動の中から生まれた国際的な評価を得た書物です。


海外の人に向けて書かれたために、原文は英文になっています。「武士道」は、一言では説明のつかない言葉です。これは、日本語の特徴として豊かなふくみを持った言葉であることによります。


「武士道」は男性的な言葉ですが、表面には気ぶりにもあらわさずに、相手のことを深くおもいやるという女性的な心の動きさえその中に入ります。これは、日本古来の「やまとごころ」「やまとだましい」という言葉とも相通じるものです。


新渡戸は、みずからが、学んだ西洋の書物から豊富な例文を引用し、「武士道」を西洋人にも理解できるようにと言葉を尽くして解き明かそうとします。そうしたとき、重要になってくるのは論理であるよりも、むしろ情緒であり感情です。美しい心情を内に秘めた「武士道」をなんとか全身で感じとってほしいと新渡戸は願っています。またそれは、「武士道」と疎遠になったわれわれ現代の日本人にも向けられた願いであるようにも思えます。


しかし、「武士道」についての端的な観念は得られません。キリスト教は、端的に「Love」「愛」と一言で要約しうる言葉をもっていますが、それと違い、「武士道」はもともと、そうした観念に収まりきらない言葉だからです。


自作詩 桶狭間

時は満ちていた
先刻の侍臣たちの言葉は
枯葉のように彼の頭から散っていった
思念は停止し
ある刹那が現れた
夜明けがた
突如 彼は嬌声を発した


彼はまったく別種の生命体として自らを自覚した
大うつけは狂的に充実した生命に成りかわった
そのとき
時代は彼とともに動きはじめた
しかも
彼は正確で平静な行動家として
茶漬けを食い
敦盛を舞うことさえ忘れなかった


流星が尾を引くように
馬上の彼の後を配下の士卒たちは次第に数を増しながら
雲集していった


輝く軟体動物のように
信長の軍勢は
今川義元の陣に殺到した


そうして
日本はこの男に塗り変えられる
真に新しい人間として
また史上最大の殺戮者として
彼の暗黒にも似た肉体は異常な光芒を放つのである


彼には行動がすべてであった
われわれは今もなお彼の余光をうけている
この聖なる狂人というべき男から