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ショスタコーヴィッチ 「交響曲第15番」バルシャイ

ショスタコーヴィチが気になっていた。この政治的に極めて奇怪な経験をした作曲家は、つい最近まで生きていた現代人だが、ロマン主義でもなく、シュトックハウゼンのような実験的で前衛的な音楽家でもない。


シンフォニー15番はテレビのNHK交響楽団で聞いたのだが、その不思議な音が忘れられなくて、ネットで色々検索してみたが、何故か15番だけ聞けなかった。5年ほど前の話である。(今は、ネットで配信されていますが、どうしても聞きたくて、バルシャイの交響曲の全曲番を無理して買いました。)


この人は打楽器の使い方が卓抜で、15番の終楽章などは、本当に不思議な美しさに満ちている。(だが、14番15番は分からないという人が多いそうなのだが。)


「革命」のあだ名が付けられた5番は、なるほど、一般向けなのだろう。しかし、これは当時のスターリン体制の真っ直中で、真に「社会主義的」な音楽として、スターリン賞を受賞した曰く付きの曲である。今、ソ連が崩壊し、ショスタコーヴィチと言えば、この「革命」の5番というのは、じつになんとも皮肉極まる話である。


そのショスタコーヴィチが敬愛してやまなかったというマーラーについては、あまり聞く気がしない。後期ロマン派は、どうしても私には馴染みにくくてしようがない。


マーラーは何度も聴く気になれないが、ショスタコーヴィチは何度も聴きたくなるだけでなく、いつのまにか旋律が頭の中で鳴っている。こんなことは、現代作曲家の中では、武満とショスタコーヴィチとストラヴィンスキーとヤナーチェクだけに起こったことである。


旧ソ連で、迫害を受けながら作曲した悲劇の作曲家というレッテルは、表面的でつまらないと思う。第5交響曲がスターリン賞を受け、第9交響曲がソ連邦政府から非難されたという話は有名だが、前者の英雄的な悲劇性と後者の溌剌とした音楽的自発性は、マーラーの引き摺っていた後期ロマン主義の垢がきれいに洗い落とされているように思える。


芸術家とはじつにしたたかな者なのだろう。どのような環境で仕事をさせられても、その劣悪とも見える環境を自分の長所に変えてしまうようだ。ショスタコーヴィチが後期ロマン主義からあんなにも、見事に抜け出ることができたのも、自分の内心を語ることに腐心し、もう行き詰まりを見せていた音楽を、国を表現するものにせよと外部からの圧力、いわば超強権による注文仕事を誠実に引き受けたからに他ならない。


15番交響曲などはじつに不思議な音楽である。音楽は自分のものではなく、他者の魂を語ることであるとでも言っているようだ。