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エッセイ 自分を信じるということ <アラン「幸福論」> 改版

アランの「幸福論」の中に、こんな言葉がある。


「自分を信じるやり方に二つある。一つは学校式のやり方で、そのままの自分を信じるということ。もう一つは職場式のやり方で、自分を全く信じないというやり方である。」


どちらも軸となっているのは、自分であることに注目したい。


「ありのままの自分」とか「自分らしく」というような、今、はやりの言葉がある。これは、そのまま自分に酔って、自分と戯れることだけに終わってしまうあやうさを持っている言葉である。


自分を信じるということは、このアランの言う両方の心構えを常に持つということなので、自分をそのせめぎ合いの中に置いて、不断に自分を磨いて新たにするという事に他ならない。


そのうち、自分などというものはすり切れ果ててしまい、わざわざ特に自分というものをかんがえなくなるというようになれば、しめたものである。その人は無私を得たのである。


ちなみに、人間は信じられるかという問いがある。


プラトンの言葉がある。言葉は簡単だが、難しい事柄に属するので、注意して欲しい。「信頼できる人間は信頼できるが、信頼できない人間は信頼できない。人を信じて裏切られたという人間は、人を見る目がなかったのである。人間を恨むには当たらない」と。


自分を不断に新たにし、人を見る目を養うという習練をして来なかった人間に、どうして、自分や他人をよく信じられるようになるだろうか。そうして、これは、どうしても、人間として成熟すること、年齢を重ねるということを、必要とするものである。ソクラテスが哲学を始める年齢を五十歳からとしたのは、もっともなことなのである。


五十歳とは、自分というものの扉が閉まる年齢だと言ったのは、ドガなのだが、こと日本では、これは、無理に閉める必要はないもののようではある。