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エッセイ 結果論の弊害<スポーツ等>

あるとき、ある高等学校の生徒さんの作文を多く読む機会があった。それを見ると、彼らがいかに<結果>というものに心を蝕まれているかを痛感した。


彼らの作文で、よく出て来るテーマを圧縮してみると、努力→結果という図式である。ほとんど、これ以外は考えようがないというくらい頑固にこの単線の思考を繰り返している。


結果論は本来、野球用語で、元々結果からものを言うという弊害を正そうとして、悪い意味で使われてきた言葉の筈だが、現在は、その意味が反転してしまい、スポーツだけではなく、「結果を出せ」と今の世の中に、広く君臨している考え方と見て差し支えないだろう。


スポーツや受験など、勝敗や合否等の結果がすぐに出るものもない。また、これほど人々の耳目に入り易いものもない。それで、彼らは、その単純な狭い思考の中で、疲れ切ってしまっているようだ。


これには、世の資本主義経済的な考え方も強力に後押ししていることももちろんである、政治家も企業も盛んに結果を出すということに血道を挙げているのはご存じの通りである。


この趨勢は、世の習いでこれからも続いていくことだろう。


ただ、救いのひとつは日本の剣道が今もって近代スポーツ化しないという事実である。オリンピックからのオファーも全く退けている。


打って反省、打たれて感謝。これは、一つの精神主義であって、近代スポーツの観念にはまるで馴染まない。打突の有効性についても、主観的な恣意は退けられていながら、熟練の者にしか判定は困難な事情もある。色々な論はあろうが、沢庵さんも良いことをしていてくれたものである。


けれども、この<結果論の弊害>ということについては、もっとよく考えてみたいテーマである。