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エッセイ キリスト教という実存主義

実存主義は、キリスト教または既存の宗教的な衣を脱いだとき、人々が抱く思想だと言われているが、わたしは異なった考えを持っているので、ここに書いてみたいと思う。


結論から先に言えば、むしろキリスト教こそ実存主義そのものだという考えである。思想において、何ものをも、前提としないという点では、東洋の方がむしろまさっていると。


わたしは、キリスト教ほど生存の不安を根底としている宗教はないと思っている。キリストの有名な言葉がある。「たとえ空が崩れ落ち、大地が裂けて崩壊しようとも、わたしの言葉は不滅である。」と、「わたしの言葉は不滅である」という言葉が見事に光っているが、その前の言葉だけを取り出してみると、およそ世界的な宗教で、これほどの生存の不安を開陳している宗教は他にない。


欧米は、攻撃的な国々と言われているが、わたしは内心の不安がとても高い人々の集まった国々と見た方が正確だと思っている。ともかく、黙ってじっとしていることができない人々である。だから、攻撃的になりやすいのであって、その逆ではないと思っている。


旧約聖書には、アブラハムが神の試みを受けて、息子を生け贄に差し出す寸前のところで、神の言葉によって思い留まる記事が見えるが、その旧約聖書の中で批判されているバールやアシタロテの神々は、その民族の存続のために自分の息子を生け贄に差し出すことを命じていたことが、逆に分かるのである。キリスト教の内包している生存の不安の先駆のようである。


人間は、神の恩寵がなければ、とても救いようがないほど罪深い生きものである。これはカトリックの思想だが、神なき人間の不安は、わたしたち日本人には、どうしても実感として湧かない思想である。そもそも、実存主義というものがキリスト教の血を引いた正嫡だからであろう。


旧約聖書のソロモンは嘆く。「この世に本当に罪のない義しい人間はいない。」従って、人間を裁く権能は神以外誰も持っていないと。その反証のようにイエス・キリストが現れる。つまり、欧米の人々にとって、実存主義とはイエスを力点とした振り子の反転に他ならないとわたしは思っている。


実存主義以降、欧米は世界的な主潮となるような思想を世界に提供できないでいる。上に述べた理由と、世界は元々、世界的な主潮となるような思想を望んではないないからであろうと、そう単純にかんがえてみても良いのかもしれない。