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エッセイ 信という選択

儒教の五徳でいけば、仁義礼知信と末端に位置する徳である。信は、それほど身近な普遍的な徳目であって、例えば、日常生活で、バスや電車に乗るとして、そのバスの運転手、電車の運転士を信頼していなければ、本当には乗れないはずなので、飛行機や船などは、なおさらそうであろう。スーパーで買う食べ物等、どれを取ってみてもよい。


日常生活をつつがなく送る上で、欠かせないこの徳は、従って、五徳の末端に位置するというのも、至極当然なことだろう。孟子になると、徳は仁義礼智で済ませて、信にはほとんど言及されないのである。


キリスト教文化との応対に忙しかった明治時代は、キリスト教の根幹を成すこの「信」という徳目を誇大に捉え過ぎてしまったという感を拭えないというのが、わたしの見方だが、どうであろうか。


漱石の「こころ」の主題をここで不手際ながら要約してみよう。「人間はそもそも信頼に足るべきものではない。そういう自分にしてからが、友人を裏切り死なせてしまった信頼の置ける人間ではない。」というものであった。わたしは、この主題が人間を一括りに見ているのが不審だったし、小説としても、Kは単なるでくの坊で、人間としてまるで書けていない。まったく、作り物染みた小説だというのが正直な感想だった。


ここで、プラトンの言葉を引用してみよう。「わたしは人間不信だという人間がいるが、信頼できる人間は信頼できる。信頼できない人間は信頼できない。人間を信頼して裏切られたというのは、その人に人間を見る目がなかったからである。人間を恨むには当たらない。むしろ、人間を見る目がなかった自分を反省すべきである。」という言葉である。これは、むずかしい忠告かもしれないが、哲学を始める歳を五十才と定めたプラトンにとっては、人間についての至極自然な意見ではなかったろうか。


わたしは、「こころ」の主題は、このプラトンの言葉で雲散霧消してしまうと見ている。確かに、人間をしっかりと見て、信頼の置ける人間かどうかを判断するのは、若い人にはむずかしいことには違いないが、このプラトンの言葉は、事に当たって、世を渡ってきた世間の人が、よくよく知っている事柄であるのは明らかではなかろうか。


そうすると、漱石は世間の人並みの目さえ、持っていなかったことになるが、そうだったというのが、わたしの考えである。漱石の文学は、文章は優れた良いものとしても、永遠の青年の文学と見て差し支えないというのが、わたしの意見である。


菊池寛が、「調子の良い文章と哲学的らしい言葉で、読者は煙に巻かれているのである。芥川があんなに漱石を尊敬しているのも、本気かと聞きたかったくらいである」と述懐しているのも、もっともなので、この坂口安吾から「菊池さんの偉さって相当なものだ。小説を書く必要のない文士だった」とまた、安吾一流の言い方で賞賛され、大衆文学作家兼実業家という偏見を受け入れて平然としていた偉人は、早くから、漱石文学の底の浅さをよく見抜いていたのであろう。


また、漱石は、「普通の人間が、突然裏切るのが恐ろしいのだ」という言葉を残しているが、これは、書物から得た西洋流の人間観に由来する言葉であろう。漱石自身が、人生のトラウマとなるような強烈に体験した人間観ではないようだ。頭でっかちな青年流の人間観だと考えてよいと思っている。