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エッセイ ベートーヴェン 熱情<アパッショナータ>

ベートーヴェンにしては、思わせぶりな曲だと長年思ってきた。


グールドもベートーヴェンのアパッショナータが何故あんなに人気があって名曲と言われるのか、訳が分からないとどこかで言っていたが、グールドの言うことは、半分眉に唾をつけて聞かないといけないから、素直に賛同はしていなかった。


それで、つい最近、ホロヴィッツのアパッショナータを聞いて、この曲を改めて見直した。70年代のと59年の録音があるが、59年の方が断然いい。それにしても、演奏家によってこうも感じが変わる曲も珍しい。


ホロヴィッツの弾き方は、感性が超人的に制御されたもので、一音たりとも気ままに響かせている音がない。音の美しさはホロヴィッツならではものだが、どこまでいっても音が見事に支配されている。それなのに、ちゃんとベートーヴェンの溌溂としたbrioがある。ホロヴィッツが神様扱いされたのもまた頷けるというものだろう。


グールドは、ホロヴィッツについては目の敵にしていたから、当然、この名演も聞いていただろうし、自分の演奏が彼に及ばないことも分かっていたろう。それで、先の言葉となった所以も納得できた。


だが、ホロヴィッツには後期のベートーヴェンはレパートリーに入っていなかったようで、録音がまるで残っていないし、他の所謂3大ソナタで売られているもの(「月光」とか「悲愴」とか「熱情」とかの組のやつである。日本のクラシック後進国性を如実に表している売り方ではないか。あだ名のついた曲なら売れるというわけだ。)も、アパッショナータの他は見るべきものはない。ただ、59年のアパッショナータと一緒に入れてある7番は名演である。


そもそも、ホロヴィッツはベートーヴェン弾きではない。そうして、ベートーヴェン弾きがすべてのソナタを満足に弾けるわけではない。そう考えて見ると、ベートーヴェンという現象はどれほど桁違いの大きさを持った人間だったのかと呆れる思いがする。


ギレリスもいいが、ホロヴィッツのような切れ味の良さを感じないのは残念。ゼルキンのも良いそうであるが、わたしはまだ未聴である。