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エッセイ 聖徳太子考

現在、歴史家の間で、聖徳太子のことが取り沙汰されている。聖徳太子という人は居なかったという説が有力なのだそうである。


居なかったかどうかは、ともかく。ここで至極当たり前なことを指摘しておきたい。人間の心というものは、あるものをないとして考えるというときには、とても活発によく働くものである。だが、元々無いものをあるものとして考えるときには、非常な困難を強いられるもので、これは、人間にとっては、ほとんど不可能と言っていいくらいの格別な想像力を必要とする。


例えば、自分にとって大事な人がもし居なかったらと考えるときは、これは言わばネガティブな考え方だが、思考力はとめどなく働くもので、際限がないくらいである。けれども、自分にとって大事な人を、もし自力で作り出そうとすると、これは自分の心に問うて見ると良いのだが、ほとんど不可能に近い難事業だということに、嫌でも気が付くだろう。


もし、聖徳太子という人が居なかったとする。そうすると、この人を創作したその時代の人々は、ほとんど奇跡的な天才と言っていいほどの思考能力の持ち主たちであったということになる。


十七条憲法や三経義疏等は、誰の創作によるものなのか、外交文書、また様々な人間業とは思えないような伝説の間で、歴史家たちの心は散々に引き裂かれているようである。聖徳太子不在説は、この歴史家たちの心の苦衷を訴えている以外のものとは思えない。聖徳太子像が引き裂かれているのではない。それを公言せねばならないほど、歴史家たちのこころが引き裂かれているのである。