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エッセイ 武士道 <西郷隆盛における>

武士道というものは、歴史的に見て、とても発展性のある思想である。これは格別なことといって良く、世界的に見ても稀な思想と言ってようである。


思想というものは、深くそれを考察するとき、原点に戻るのが本来の筋である。キリスト教でもイスラーム教でも仏教でも儒教でもその原理は変わらない。言わば、最初にすべてが所与されているものなのである。


日本で最初の征夷大将軍は坂上田村麻呂である。この人は、出自の確かな武勇に秀でた人ということだけで、それ以外のことは後世の附会のようで、この人のことを深く調べても、武士道という思想は、よく分かりはしないようである。


武士道は、元々鎌倉時代「弓馬の道」と言われていた。弓馬の道の意味合は「清濁を分かたぬ武士」である。それが、だんだん仏教や儒教の洗練を受けて「武士道」へと発展していくのであるが、その登場から発展過程を見ても、萌芽が徐々に大木へと生長していくように、様々な文化浸透によって、多くの思想を内包しながら、成長してきたもののように思われる。


内村鑑三が最大の武士として賛辞を惜しまなかったのは、西郷隆盛であるが、西郷の有名な「敬天愛人」という思想をよく見てみよう。この中にある「愛」という言葉は、西郷の時代、決して現在の日本のように、よりよく抽象された言葉ではない。むしろ、当時は、性愛の意味合いの方が強く、キリスト教で代表されるような普遍的な「愛」という意味合いはなかったものである。すると、西郷は現在の意味合いでの「愛」を予見していたのか。わたしには、そうとしか思えないのである。


そうして、西郷の事跡を追っていくと、若いときには、禅の指導を禅僧から受け、藩では儒教を学び、その本質的なことはしっかりと掴んでいたことは間違いない。西洋の思想にも格段の理解を示しているのが見られる、キリスト教についても、その西郷の無私の態度は少しも変わりはしなかったであろう。


西郷は、キリスト教の本質がLove「愛」という一語に込められていることを、当時、非常な洞察力で見抜いていたようにしか思えない。傍らの人、それがたとえ敵であったとしても、「愛する」ということは、西郷の事跡を見てみても、はっきりと実践されている。


これは、じつは大変なことなので、西郷という人が、非常に焦点の結びがたい大きな人格の持ち主であることと、西郷において、武士道はキリスト教さえ、その中に内包することに成功したことを物語っているのである。西郷には、思想としての武士道において、非常な可能性が秘められているように思える。西郷というような大人格には、近寄って見てはいけないのだろう。富士が遠くから眺められて、はじめてその偉容を現すように、われわれは群もう象を撫でるようであってはいけない。司馬遼太郎と、同じ轍は踏んではいけないのだろうと思う。


西郷は敬することによってしか、われわれには掴みようがない人格であることを、しっかりと肝に銘じなければならないのであろう。