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エッセイ 食パン考

日本の食パンはやわらかい。これは、素材の味を大事にする日本独自の文化から生み出されたもので、フランスパンがあんなにも固いのは、フランスが他ならない教会の娘という国であるからではないかとかんがえている。これも、仮説として、聞いて頂ければ結構なのだが。


まず、パンは中国に伝わってから、饅頭へと変わった。いわば、お菓子である。揚州では、少なくとも戦前まで、煬帝からのイースト菌が脈々と万世一系で受け継がれてきていたそうで、上海辺りの色々なイースト菌が一緒くたになった下等なイースト菌とは、訳が違うそうである。揚州の饅頭の皮の上質さは、他と比べものにならないほどだそうである。


パンが明治期以来もたらされて、徐々に現在の食パンとして日本に定着するようになったのは、審らかなことは知る由もないが。


わたしに分かっていることは、両国の発酵時間の差である。日本では食パンが十分に発酵するまで、相当の時間を掛ける。素材の味を生かすためで、何もパンにやわらかくなるための原料を加えているのではない。謳い文句の通り「何も足さず何も引かない」のである。ただ、イースト菌を上質のものにと拘っているかどうかまでは知らないが。


それに対して、フランスでは発酵時間をそんなに掛けない。およそ、日本の半分程度の時間である。イースト菌が十分に本領を発揮する前に、焼き上げてしまう。


これは、どうしても背後にジーザスの影があると見てとった方が良いようである。この人生の壮年期にして十字架にかけられたメシアを思い、フランスの人々は、やわらかいパンを食べることにある罪の意識を呼び覚まずにはいられないというのが、わたしの仮説である。


時間がないわけではないし、フランス人が際立って、時間にせかっちという訳でもない。むしろ、時間にきわだってうるさいのは、世界の国々の中でも日本人である。フランス人は、食事の時間はずいぶん長くとるし、誰でもご承知のごとく美食の国である。それなのに、あのパンの固さである。


わたしは、ひとつ不思議に思っていることがあるのだが、ごはんにしても、パンにしても、その国の主食となるようなものは、じつに手間ひまを掛けて、出来上がるものだということである。ごはんは、それをおいしく食べようとすると、最低でも、一時間以上はかかるし、パンは、家庭で作ろうとすると、むずかしい代物で、パン屋に買いにいくのが一番である。


何故、主食の食材にこんなに手間ひまの掛かるものを選んだのであろうかと、不思議に思うのである。


それはともかく、イエスの影があんなにも濃いからこそ、パンはあんなにも固いのだという仮説への証拠となるような言葉を挙げておきたい。


やわらかい日本の食パンを食べた外国人は一様にこう言う。「日本人はパンに対するリスペクトが足りない」と。


いや、そうではないと日本人は考えるだろう。パンの味を最大限に引き出し、パンを尊重しているのは日本人の方であると。


ここで、リスペクトの意味合いが、何を指しているのか、不明なのに注意してもらいたい。当の外国人自身も気が付いていない、宗教的な意味合いが「リスペクト」という言葉に中に紛れ込んでいることに、気が付くはずである。


フランスでは、今でも、イエスが弟子たちに、「これは、わたしの肉である」とパンを差し出した物語を思い、十字を切ってからパンを食べる篤信家たちが大勢いることを、忘れてはいけない。


「パンと罪」これは、フランス、大きくは欧米では一体となっている思考であって、また、われわれ日本人には、どうしても理解不能な思考である。日本人にとって、原罪意識くらい分からない思考はないからである。


それはそれとして、現在のフランスでは、好みとしてやわらかいパンが流行しつつあるそうである。